Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.055 山崎大地さん

2017/04/20 (木)
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山崎大地さん

株式会社ASTRAX
代表取締役社長 民間宇宙飛行士

宇宙旅行や無重力体験のプロデュースなど50を超える宇宙ビジネスを展開する株式会社ASTRAX(国際宇宙サービス)を創業した山崎さん。国際宇宙ステーションの運用管制官として米航空宇宙局(NASA)で働いた経験を持つ他、早ければ2018年にもご自身が宇宙に行く予定など一貫して宇宙に関わる人生を歩まれています。今回は、ご自身のキャリアや将来の夢についてお話しいただきました。

NASAで働くとの夢が叶う

私は、子供の頃、宇宙戦艦ヤマトや機動戦士ガンダム、銀河鉄道999など宇宙を舞台にしたアニメが好きで、宇宙への憧れを漠然と持っていました。小学校の理科の授業で星座や惑星を学んだとき、すごく面白くて、友達と「スカイウォッチングクラブ」という天体観測クラブをつくりました。ただ、当時持っていた望遠鏡は小さくて遠くがあまり見えない。「大きい望遠鏡を買って欲しい」と父にお願いしたところ、「自分でつくりなさい」と言われました。エンジニアだった父は、「ないならつくれ」「壊れたら直せ」との考えだったんです。そこで必要となる部品を集め、レンズだけは買ってきて、それらを組み合わせて自作の望遠鏡をつくりました。そして、いざのぞきこむと、なんと土星が見えました。しかも輪まで綺麗に。とても感動しました。そのとき、「いつか絶対に土星に行く!」と決意しました。

中学1年のとき、ボーイスカウトの海外遠征でアメリカに2週間行くことがありました。キャンプが終わってから、観光でワシントンD.C.にあるスミソニアン航空宇宙博物館に立ち寄りました。そこには、ライト兄弟の飛行機やアポロ11号の宇宙船、スペースシャトルが置いてある。また、シアターではアメリカの宇宙開発の歴史やスペースシャトルがバンバン飛んでいる映像が流れている。シャトルの乗組員が船内でサーフィンのマネをしたり、他の人たちも楽しそうに働いている。それを見て、「NASAで働きたい!」と思うようになりました。

帰国後、まもなく日航ジャンボ機の墜落事故がありました。その数ヶ月後にはスペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故もありました。そのときまで、航空や宇宙のことを考えるとワクワクしたり、「スゴイ!」という思いでいました。でも、同時に危険なものでもあることも認識させられました。ただ、ものづくりが好きな父の影響もあり、「自分がもっと安全で、快適な宇宙船をつくってやろう!自分ならできるはず」とも思いました。

中学高校ではあまり勉強しませんでした。通っていた高校は、大学に現役で受かる人がゼロ、ほとんどの人が就職。「就職しようかな?」と思っていたとき、就職先のアンケート用紙が配られてきました。就職先といっても、やりたいことがあり過ぎて困る。先生に相談したところ、「自分の一番好きなこと、やりたいことをやればいい」と言われました。考えるまでもなく、自分の一番好きなことは宇宙で、やりたいことは土星に行くこと。そこで、就職先として「NASA」と書いたところ、「バカか!高卒でNASAなんてありえないだろ!」と怒られました。その言葉にカチンと来て、「絶対にNASAに行く!」と決めました。そして、高校卒業後から受験勉強を開始。東海大学工学部航空宇宙学科に入学しました。

大学3年の夏に「アポロ13」の映画を見ました。このとき、宇宙飛行士よりも地上にいる運用管制官の仕事ぶりを見て、純粋にカッコイイと思いました。そして、「NASAの中でも宇宙船の管制センターで働きたい!」と、より具体的に思うようになりました。その後、筑波宇宙センターの中に国際宇宙ステーションの運用管制センターが建設されるとの話を聞きました。国際宇宙ステーションに指令を出す場所なので、「ここで働けばNASAに行ける」と思い、宇宙ステーション関連のシンポジウムがあったので、就職活動の前にも関わらず「絶対にここで働きたいんです」とあらゆる人に熱く声を掛けて周りました。

すると、宇宙ステーションのソフトウエアを担当している三菱スペース・ソフトウエアを紹介され、すぐ訪問しました。そこで、いろいろな方と話をする内に「この会社で働きたい!」との思いが強くなりました。半年後、ここ一本に絞って就職活動を開始。面接に行くと、すぐ「合格」と言われました。理由を聞くと、「現場から山崎君に来てほしい」と言われているからとのこと。面談の時の唯一の質問で「希望の部署に行けない場合はどうする?」と聞かれたので、「それなら辞めます」と生意気にも言ったところ、無事に合格をもらい筑波の希望の部署に配属され、国際宇宙ステーションの運用管制官として働くことができました。

ただ、日本としては初めて宇宙ステーションを打ち上げるのでマニュアルもないし、経験者もいない。すべて自分たちでイチからつくるしかない。また、宇宙船や宇宙ステーションの実物がないので、NASAで訓練を受けなければいけない。そこで、10人が選ばれてNASAに行くことになりました。ただ、メンバーを見ると40代から50代の部長級の偉い人ばかり。忘年会の席で酔っ払った勢いで宇宙ステーション計画の全体指揮をしていたトップの人に「こんな爺さんばかり送っても日本に将来はない。僕みたいな若手を送らないとダメだ」と言ってしまいました。その後、9人が渡米して最後の1人が行く直前、その方の担当案件で不具合が発生し、急遽行けなくなりました。すると「あのうるさい若造がいただろ。あいつに行かせよう」と急にNASA行きが決まりました。そして、あの「アポロ13」の管制センターと同じ場所にある宇宙ステーションの管制センターで働くことができました。

専業主夫になってから目標を見失いウツになる

当時、宇宙飛行士だった妻の仕事の関係で専業主夫になりました。日本にいる間は、筑波で子育てをし、鎌倉にいる親の介護もあったので、両方を行ったり来たりしていました。その後、妻の渡米に合わせて家族で米国に移りました。ただ、外交官ビザだったので、私は米国で仕事ができなかったんです。アルバイトもダメ。それに一人で携帯電話も買えない。携帯ショップに行ったら、「働いてないんだから払えないでしょ。奥さんに買ってもらいなさい」と言われる始末。一人で何もできないことに無力感で一杯でした。

それに米国では共働きは当たり前。なのに自分はルール上、働けない。自分の境遇に誰も共感してくれない。子供を保育園に送ると一人ぼっち。孤独になる。NASAのそばに住んでいたので、昔の同僚や妻は夢を追いかけて輝いている。でも、自分は家庭だけ。次第に追い詰められていく。イライラが募る。やりきれない思いから妻にあたる。すると、「だったら自分の仕事辞めなきゃ良かったのに…」と言われました。そのとき、自分が何で仕事を辞めたのかがわからなくなり、うつ病になりました。

当時は、死ぬことしか考えていませんでした。睡眠薬を飲んでも眠れない。今の生活より死んだ方が楽。「よし死のう!」と自殺の覚悟を決めました。そのとき、走馬灯のように子供の頃からの人生が脳裏によぎりました。「あぁ、俺の人生、こんなところで終わるのか」と。同時に、「親より早く死ぬのは親不孝だよ。親より一日でも長く生きない」と言われたことを思い出しました。その言葉でどうにか思いとどまりましたが、「夢や目標がないことほどつらいものはない」とつくづく思います。やりたいことがあれば、どんなにつらくても楽しい。でも、やりたいことができないのは苦でしかない。それからは、「2010年に妻が宇宙に行くまでは今の生活をやり遂げよう」と気持ちを切り替えました。

宇宙飛行の前はやることが多いんです。誰を招待して、どの席に座ってもらうか?招待状をどう配るか?記念グッズを何にするか?写真撮影や宇宙に持って行くものの準備など、打ち上げの1年半前から綿密なプログラムが組まれています。なので、全てのミッションが終わって日本に帰国すると、今度は燃え尽き症候群になってしまいました。費用がかかったので、お金は底をつく。仕事もないし、家もない。「コンビニでバイトでもしようかな?」と仕事を探していたとき、ある人から「今度、ワインのボジョレーの会があるから来ない?」と誘われました。「いえ、いま仕事を探しているところなので無理です」とお断りしたところ、何度も声が掛かる。会の当日にも連絡があり、「今から探しても仕事みつからないでしょ」と言われ、しぶしぶ参加したところ、その日から僕の人生が大きく変わることになりました。

参加者の一人の方から、「家の中に10台の車があるから、みんなで見に来ない?」と言われ、私が幹事となってツアーを組むことになりました。そして最初にブリキのおもちゃ博物館の館長でもある北原照久さんの別荘でランチを食べてから、その方の家に行くプランになりました。そのとき子供を連れて行ったのですが、子供が遊び心に溢れた別荘を気に入り、私だけが居残って、結局泊まらせていただきました。翌日、その方の家の屋上でコーヒーを飲んでいたら、北海道にいる北原さんから電話があり、「羽田空港で大地君の本が売っていたので、それを買って飛行機で読んでいたら感動して何度も泣いた。君は、これまで奥さんのため、日本のために頑張ってきたじゃないか。もう奥さんは関係ない。君が主役になりなさい。今度は君の夢を叶えなさい。コンビニでバイトなんかしなくていい。それより講演をしなさい。僕が応援してあげるから」と言われました。

北原さんは、号泣されて、客室乗務員の方から何度も「大丈夫ですか?」と心配されたそうですが、私も北原さんからの電話で号泣しました。そして、「もう一回宇宙のことをやろう!土星に行こう!」と決意しました。それから一年半、北原さんが講演をするたびに壇上に上げていただき、観客の前でいつも私のことを紹介してくださいました。そのお蔭で講演の機会を多数もらえ、資金もたまってきました。また、北原さんが著書「facebook100の言葉!」の中で、英ヴァージン・グループ創業者リチャード・ブランソンの「挑戦しなければ何も得られない。我々は誰もが世界を変えられる」との言葉と共に、「これまで自分の夢を我慢してきた。これからは自分の夢を追いかけていきたい。リチャード・ブランソンに負けないことをやりたい。そして北原さんが70歳になるまでに絶対に宇宙に連れていきます」との私のコメントも掲載していただきました。

それを見て、「すぐイギリスに行かなきゃ」と思いました。リチャード・ブランソンは、ヴァージン・ギャラクティック社を立ち上げ、宇宙旅行ビジネスを始めていました。「直接彼と会って宇宙飛行の契約書にサインしてもらおう。そうすれば宇宙に行ける」と考え、本の発売日の翌日にアポなしでイギリスに飛びました。そして、宇宙旅行の予定者が集まるパーティーがあったので、そこに参加させてもらい、彼と話すチャンスを伺っていました。すると、偶然にも私たちが座っている真後ろのソファに来たので、契約書を持って話に行きました。すると、「みんな旅行会社を通じて申し込むのに、直接私に申込みに来たのは君が初めてだよ。私が保証人になってあげる」と言ってくれ、契約書にサインしてもらいました。早ければ来年(2018年)にも民間宇宙飛行士として宇宙に行く予定です。

夢を1000個持つ

私が創業した有限会社国際宇宙サービス(株式会社ASTRAXに事業移行中)では、宇宙旅行や無重力体験のプロデュースなど現在、50を超える宇宙ビジネスを展開しています。例えば、無重力体験では、名古屋の空港からジェット機を飛ばして、太平洋か日本海上で高度1万メートルの高さまで急上昇させる。すると、30秒ほど無重力状態を体験することができます。1回のフライトではこれを10回ほど行っています。この無重力状態でプロポーズをしたり、結婚式を挙げたりする方もいます。また、魔法使いやハリーポッターの仮装をしてホウキや杖で飛ぶことを楽しまれる方もいます。間もなく一般的な宇宙旅行も始まるし、宇宙ホテルも完成します。そうなると人類の活動領域が地上を離れ宇宙にまで広がるということなので、いずれ地上のすべてのサービスが宇宙で必要となっていきます。そこで弊社では最終的に1000種類くらいの事業を展開する予定です。

こんなことを言うと、夢物語のように感じられるかもしれませんが、現実的な話です。日本では、宇宙に行くには、宇宙飛行士にならないといけないとか、厳しい訓練が必要とか、お金持ちじゃないといけないと思っている方がほとんどです。でも、そんなことはありません。実際、世界では既に10万人が宇宙旅行の予約をしています。仮に旅行者として宇宙に行くお金がなければ、仕事として宇宙に行けばいい。そうすれば、お金を払わずに宇宙に行くことができます。私は、この発想を豪華客船の飛鳥にのっているときに学びました。

先の北原さんのご紹介で飛鳥で講演することがありました。そのとき週に1回50分の講演だけで後は自由行動。飛鳥には1000人の乗客がいますが、それと同時にその人たちをサポートするために働いている人が1000人いる。料金が高いので客としてのることはできない人でも、働く側ならお金をもらって世界を旅することができます。宇宙でも同じことです。10万人の旅行者がいれば、10万人分の雇用が生まれます。例えば、旅行者がいるなら、サポートする人(宇宙添乗員)が必要になります。宇宙で歌いたい歌手がいれば、PAや撮影する人(宇宙カメラマン)も必要。宇宙で結婚式を挙げたい人がいれば、牧師(宇宙牧師)が必要です。宇宙に行きたい人がいれば、それに付随する職(サービス)が生まれてくるのです。

しかも、これから宇宙に行く人は激増するとみています。まず、宇宙旅行の価格は現在の1000万円台から最終的には1万円台にまで下がるはず。というのも、例えば日本からニューヨークまで飛行機だと12時間かかりますが、宇宙空間を通れば1時間で行けます。しかも、ロケットの噴射時間はたった5分。12時間燃料を使い続ける飛行機より燃料代は圧倒的に安くなります。百年ほど前、海外旅行は一部のお金持ちが船で行っていました。飛行機も当初はそうです。でも、今は一般の人も利用しています。宇宙も同じです。最初は、一部のお金持ちだけが利用すると思いますが、すぐに一般の方も利用できるようになります。それを見据えて、今から新たな宇宙サービスを始める日本人が増えると、日本も宇宙サービス大国になれると思います。ロケットの打ち上げなどの理系的なインフラ技術は米国のベンチャー企業にかなわないので、あくまでサービスに焦点を当てることが大事だと思っています。

私は、いつも1000個くらいの夢を持っています。土星に行く夢から、今夜はうなぎが食べたいという夢まで大小さまざま。しかも順序や優劣をつけていないので、全部ごちゃ混ぜになっています。でも、それにより、毎日何らかの夢が叶うので、「今日も一つ夢が叶った!」って喜べるんです。あと、夢に優先順位もスケジュールもつけていません。例えば、優先順位を1から5までつけると、一つ目の夢が予定通り進まないと先に進めなくなってしまう。でも、私の場合、例えるなら、お饅頭の箱の中に四角いマスがあり、そこに夢が100個ビッシリつめ込まれている。しかも数年に1回はそれがまた新しく積み上がる。残りの人生であと10段くらいは積み上がるはずなので、最終的に1000個くらいは夢が叶う予定です。そして、もう一人の自分がそれを上から見ている感じで、いつも自分を客観視しています。

すると、チャンスが来たとき、すぐに自分の夢とマッチングしやすくなります。僕の夢は自分の考えている順番ではなく、チャンスがやってくる順番に叶っていきます。自分の思った順番で叶えようとすると、相当な労力を必要とし、とても大変です。だから、最初から夢をたくさん持っておいて、蜘蛛の巣のように網を張っておく。そうすれば、チャンスが来たときに引っかかってきます。思いがけない順番でどんどん夢が叶っていくのです。毎日のように達成感が得られるし、その都度自信もついてきます。そして全ての夢が同時進行で進んでいるという感じ。例えるなら、100冊の本を同時に書いている感じです。1冊が行き詰ったら、残りの99個の中から今の調子に一番合うものを書く。すると、100冊が常に少しずつ進捗していく。1秒たりとも無駄な時間がないんです。すると、1年後には100冊書き上がっている。もし順番をつけて、一つずつこなしていこうとすると、1冊目でつまずいたら、残りの99冊すべてが止まってしまうので、その都度完成(夢の実現)が遠のいてしまうのです。なので、夢を順番通りに叶えるのではなく、叶えられる順番で叶えていくと全く無理がないのです。

私は、子供たちに講演する機会が多くあります。すると、「夢がない」と言う子がたくさんいます。そういう子は、「夢は叶わないもの」と思っています。そして、親から「一つでもいいから夢を持ちなさい」と言われるそうです。でも、夢を叶えていない親からそう言われても全く説得力がない。それに夢が一つしかないと、それがダメになったら逃げ場がなくなり落ち込むしかない。でも、1000個くらいあると、夢が10個なくなっても、100個失敗しても全然OK。だからみんなに「可能な限り夢をたくさん持とう!」と言っています。あと、「1個だけ超どでかい夢を持とう!」とも。土星級の夢を持つと、地球規模の夢(例えば、アメリカの大統領に会うとか)は相対的に大したことなく感じられます。そうすることで心のハードルが下がるのです。あと、子供に「夢を持て」というのではなく、大人がもっとどんどん夢(小さな夢でOK)を叶えている姿を見せることが大事なんだと感じています。

人の夢を叶えると、自分に返ってきます。ある会社の社長さんが、「大地君、40年前に宇宙の漫画を読んで行きたいと思ったんだけど、タイトルが思い出せない。見つけてくれたら、いくらでもお金を出すから譲ってくれ」と言われたことがあります。そのとき僕は「なんとか探します」と言って、実際にその漫画を探し出して、その漫画をネットオークションで手に入れて、その方にプレゼントしました。すると、先方は「お金を出す」と言ってくれたのですが、僕はそのお礼を受け取らなかった。すると、その社長さんは自分の会社の社員さんに「大地君の夢を探せ」と指示したそうです。僕は1000個くらい夢を書き出してネット上にアップしてあるのですが、それを見つけた社員さんがたくさんの夢の中から「指揮者」と書いてあるのを見つけて、その社長さんに報告したそうです。

そして、その社長さんは私に東京オペラシティで1600名の観客や超VIPを前に1曲だけオーケストラの指揮する機会をくださいました。なんとその社長さんは、東京ニューシティー管弦楽団の理事をされていたのです。そのため僕に指揮をさせることは比較的簡単にできることだったのです。もし、自分一人だけで指揮者になってこんな大舞台で指揮をする夢を叶えようとすると、きっと多大な努力が必要でしょう。でも、このケースではたった漫画2冊をプレゼントしただけで叶えることができました。お互いの長年の夢を交換したことで、両方とも実現することができたのです。人の夢を叶えると、自分の夢も叶う、という非常にいい実例となりました。

米スペースX社は、来年(2018年)、月旅行をスタートさせると発表しました。そして6~10年後には火星旅行、その先は木星や土星旅行を計画しているそうです。その日から僕は「10年から20年後には何とか土星に行けそうだな」と考えています。みんなでワイワイ騒ぎながら土星に行くことを今から楽しみにしています。仮に、私が生きている間にそれが実現できなくても、娘の代には確実に行けるはずです。なので、娘には「僕が死んだら散骨は土星の輪っかにして欲しい」と伝えています。僕はたとえ死んでも「土星に行く!」という小さい頃からの夢を叶えるつもりなのです。笑

プロフィール

1972年 神奈川県鎌倉市生まれ。1997年 東海大学工学部航空宇宙学科卒業後、三菱スペース・ソフトウエア入社。国際宇宙ステーション(ISS)運用管制官としてISSの開発及び建設に従事。2005年 有限会社国際宇宙サービス社設立。2006年 宇宙飛行事業開始。2007年 米国永住権取得。2010年 講演・授業・出版・ツアー事業を開始。2012年 無重力飛行事業開始。月面シティ開拓開始。2016年 株式会社ASTRAX設立。国連世界宇宙週間ナショナルコーディネーター就任。 早ければ2018年に、エックスコアエアロスペース社の宇宙船「リンクス」、ヴァージン・ギャラクティック社の宇宙船「ユニティ」及びワールドビューエンタープライズ社の宇宙船「ボイジャー」に搭乗し宇宙飛行する予定。 現在は、自らの宇宙飛行の準備を行う傍ら、日本とアメリカを中心に宇宙旅行時代に向けた新たな民間宇宙ビジネスの創出や指導、 執筆や講演活動などを行いつつ、教育機関や企業向けの最新宇宙ビジネスに関わる講座や授業、男女共同参画関連の講演、夢の実現などについて自身の経験を広く伝える活動などを行っている。講演実績は6万人以上。現在延べ100社の宇宙関連事業顧問に就任中。 著書「宇宙主夫日記」(小学館)、「宇宙家族ヤマザキ」(祥伝社)。 監修「ロケット王子」(ASTRAX BOOKS)、「宇宙時代の子育て 母さん佳く愛して ~セルアファのすすめ~」

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