Leaders1000 リーダーが語るの人生の軌跡

vol.050 木村佳司さん

2016/11/19 (土)
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木村佳司さん

株式会社メディネット
代表取締役会長 兼 社長

再生・細胞医療の研究から細胞加工プロセス開発、特定細胞加工物や再生医療等製品の治験薬製造から商業生産に至るまで、再生・細胞医療の商業化ワンストップサービスを提供する株式会社メディネットを創業した木村さん。創業8年で東証マザーズ市場に株式を上場し、再生・細胞医療のグローバル・リーディングカンパニーとして事業を大きく拡大されています。今回は、ご自身のキャリアや会社の事業展開などについてお話しいただきました。

人生に無駄なことは何一つない

私は、幼稚園に入る前からひどい小児ぜん息を患い、小学校も中学校も休んでばかり。学校行事もほとんど不参加。体も痩せていて「こんな状態で大きくなれるのかな?」と不安だらけでした。転機となったのは高校で剣道部に入ったこと。当初はランニングをしても、みんなの1/3くらいしか走れませんでしたが、2年になると一番早く走れるようになり、剣道でも初段をとるまでになりました。すると、驚いたことに、これまでどんな病院にかかっても治らなかったぜん息が完全に治ったのです。そのとき「病気って自分の身体が持っている治癒力が治すんだ!」と気づきました。

高校は進学校で成績も悪くなかったのですが、大学へは行かずに就職しました。中学生のとき父を亡くしたため、「母の負担を減らしたい」と考えたからです。就職先は姉の嫁ぎ先が経営する染物屋。ただ、この染物屋は少し変わっていて、昼は通常の営業をしていますが、夜は染料の研究をしていたんです。しかも、本場ドイツで研究をしていた方を技術顧問に招き、最先端の研究をしていました。「この染料と別の染料を混ぜるとどうなるか?」このような研究が面白くてたまらない。時間を忘れて没頭したことで、研究の何たるかを自分なりに知ることができました。

ただ、私は色弱だったので色の追求には限界がある。それにビジネスや研究方法を一通り理解したこともあり、会社を辞めることにしました。その後、金属会社に入社、営業担当となりました。顧客のメーカーが半導体工場を持っていて、そこにクリーンルームがありました。そこで、クリーンルームのことを徹底的に調べましたが、その知識が後々役立つことになります。この頃は、朝から晩まで働きづめで平均の睡眠時間は3時間ほど。家庭を顧みなかったこともあり、妻が実家に帰ってしまいました。見かねた仲人の方から「仕事を変えなさい」と言われ、一年ほどでこの会社も辞めることにしました。

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次に入社したのは株式会社保谷レンズ(現HOYA株式会社)。そこではコンタクトレンズや医療機器の販売を担当。営業先は眼科。ここで初めて医療ビジネスに接することになり必死に勉強しました。法律、税制、営利・非営利の違いなどなど。営業成績はトップクラスだったので大阪の営業所長を務めたりもしました。あるとき、本社から「買収した赤字会社の再建をして欲しい」と言われ、会長室長としてその会社の立て直しに着手。ただ、周りは全員が敵。「片道切符で来た」と言っても信じてもらえない。相当な苦労をしましたが、2年で黒字化を達成。ここで経営の何たるかを知ることができました。

その後、株式会社メディネットを創業しました。メディネットは、主にがんの免疫細胞治療の開発・実用化に取り組む会社です。当社は創業以来、免疫細胞治療にフォーカスして事業を進めてきましたが、それは幼い頃に小児ぜん息だった体験が背景にあります。「ぜん息を治したい。健康になりたい」とずっと思っていました。それに、ぜん息は免疫疾患で、薬では根治が難しく、体の免疫力をのバランスを整えることで快方に向かう病気です。そのため、当社を立ち上げたときも、免疫の領域で新しい事業を始めたいという思いがありました。

起業するまでに、いろいろな会社で経験を積みました。でも、振り返ると無駄なことは一つもありませんでした。ぜん息になったことで「免疫療法」を知った。染物屋では「研究方法」を知り、金属会社では「(細胞培養加工施設の参考になる)クリーンルーム」を知る。HOYAでは「医療ビジネス」を知り、赤字会社の立て直しでは「経営」について学ぶことができました。いろいろと苦労をしてきましたが、逆にそれが良かったと思っています。苦労や失敗をしたときの方が真剣に考えますので、そのときの経験が役立っているからです。

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新しい価値をつくるときは周りに迎合してはダメ

私は、ぜん息を治して健康になった経験があるので「小さくてもいいから何か世の中に恩返しをしたい」と思っていました。そこで会社を辞めて43歳のとき起業しました。自分の経験から「免疫のビジネスをやろう!医療・健康にかかわる分野で全く新しいことをやりたい!」そんな気持ちでいました。でも、免疫のビジネスといっても、どこから手をつけたらいいかわからない。試行錯誤を続けていたとき、分子免疫学の基礎医学者であった東京大学名誉教授の故・江川滉二さんを紹介され、会うことになりました。

当時、江川さんは東大の教授を辞任され、ある財団で研究等を行っていました。そして、免疫細胞治療を受けたいという人がいたら、ボランティアで治療をされていたのです。江川さんと話をしていたとき「治療の副作用から多くの患者さんを救うにはこの治療しかない」と大きな可能性を感じました。でも、現実は江川さんの知り合いしか治療が受けられない状態。そこで、「もっと多くの人が受けられるように免疫医療を事業化しませんか?」と提案しました。すると江川さんから「じゃあ一緒にやりましょう」と言われ、ビジネスの方向性が決まりました。

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当時、再生・細胞医療は今ほど認知されていませんでした。免疫細胞治療についていえば、有効性を示すデータは出ていましたが、事業として成立させるのは無理だと言われていました。いろいろと病院を周りましたが、どこも反応はイマイチ。「免疫細胞を用いたがん治療をしませんか?」と言っても呆れられるだけ。でも、患者さんのためにこの新しい治療法を普及させることは意義があると考え、「誰もやらないなら自分たちでやるしかない」と思い、「免疫細胞療法総合支援サービス」という全く新しい事業モデルをつくり、事業化することにしました。

そして起業から4年後、江川さんが世界初のがん免疫細胞治療の専門施設である瀬田クリニックを開設し、メディネットが「免疫細胞療法総合支援サービス」を通じて、細胞加工と研究開発を担うことになりました支援。当初は月に3~4人くらいしか患者さんが来なくて開店休業のような状態。ただ、地道に運営を続けていく内に患者さんからの口コミが広がり、徐々に来院数が増えていきました。それまで症例数は年間で数10例ほどしかありませんでしたが、開院してからこれまで積み上げてきた免疫細胞治療の治療患者数は19,000人、細胞製造数は17万件を超え(2016年9月末現在)、国内最大であると共に世界最大級でもあります。また、当社と契約・提携する病院も増え、現在、拠点は連携医療機関を含めると全国約50ヶ所超までに拡大しています。

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再生・細胞医療は、ノーベル賞を受賞された山中伸弥先生の功績もあり、今でこそ注目され、多くの方々がビジネスに興味を持ちだしました。ただ、私たちが始めたときは全くの未開拓の領域でした。新しい分野なので見本がない。まさに馬車道に自動車を走らせるためのインフラをつくるような作業が必要でした。それこそ自動車をつくり、道路をつくり、舗装をし、信号をつくり、標識をつくり、交通ルールをつくる。そんなことをしてきました。大変な労力と時間がかかりましたが、それが、いまの当社の体力になっています。

また、新しいことをするときは風当たりが強いものです。周りからはいろいろなことを言われました。ただ、新しい価値や常識をつくるときは周りに迎合してはダメだと思っています。聞く耳は持ちますが、何よりも自分のことを信じることが大事ですし、自分の想いを貫くことが大切です。「免疫細胞治療を世の中に広めなければならない」私たちはこの想いを強く持つことで、ここまで来ることができました。でも、しなやかでいることも大事だと思っています。50キロで走ると50キロの向かい風が来ます。それに真っ向から立ち向かうと折れてしまうからです。

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常に最新で最善で最良の医療を誰もが受けられる世の中へ

私の父親は警察官をしていました。本当に円満な人で怒った顔を見たことがないし、私心が全くないんです。弱い立場の人や困っている人を見たら放っておくことができずに救いの手を差し伸べる。だまされたことがある人に対しても、その人が窮地にいると助けることをしていました。つくづく「自分を超えてできる人」だったと思います。私もそんな父の影響を受けて育ったこともあり、あまり私欲がないんです。もちろん人並みにはありますが、それよりも社会全体の損得を考えて行動する方により大きな満足を感じます。

人のやっていないことや新しいことをやるのが何よりも好きです。その意味では仕事より面白いものはないと思っています。先が見えないところにワクワク感を覚えるタイプなのかもしれません。それに新しいことを始めると、もちろん大きな反対もありますが、必ず応援もあります。江川さんをはじめ素晴らしい人と出会うチャンスも訪れます。それは当社の社員もそうです。社員にはいろいろと迷惑をかけているので、「この会社で働いて良かった」と思われる会社にしていきたい。ただ、いい人材を集めるには時間かかります。当社の事業領域は新しい分野ですので、すぐ環境も変わります。次のステージに移ると異なる能力の人材が必要になります。環境の変化に合わせて、いかに優秀な人材を集めていくかが今後の課題です。

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当社は、創業から21年が経ちました。「先進医療がいつでもどこでも希望すれば誰もが受けられる社会を創りたい」「病で苦しむ患者さんの希望を創る会社であり続けたい」その実現に向けて挑戦を続けてきました。その思いが、がんの免疫細胞治療を中心とする画期的なビジネスモデルを創り、多くの医療機関に革新的な技術・サービスを提供し、多くの患者さんに新しい医療を届けることにつながったと思っています。

出身地の京都に哲学の道があります。「ただただ真理のみを追求しよう」との姿勢を大事にしています。そう考えていると周りからの批判が気にならなくなります。それが新しい分野を開拓してきた秘訣だと思います。当社では「Think Global, Act Local」を掲げ、これまでにやったきたことをグローバルに展開していくつもりです。再生・細胞医療は、日本が世界でトップになる可能性をもつ数少ない分野です。その中で、がんの免疫細胞治療については、当社が世界のトップグループを走っています。これからも、患者さんにとって、常に最新で最善で最良の医療を提供すべく挑戦を続けていきます。そして、当社を社会になくてはならない会社、社会から必要とされる会社にしていきたいと考えています。

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プロフィール

1952年、京都府生まれ。京都府立嵯峨野高等学校卒業後、HOYAに勤務し、多くの営業所や関連会社の再建などに携わる。95年メディネットを設立し代表取締役社長に就任。2013年10月より取締役会長に就任。2014年10月より代表取締役会長兼社長に就任。

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